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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)2332号 判決

原告 本山能子 外二名

被告 国

代理人 塚本明光 外三名

主文

一、被告は原告本山能子に対し金六〇万円、原告本山倫子、同本山愛子に対し各金四七万円および右各金員に対する昭和四二年三月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、原告らのその余の請求は、いずれも棄却する。

三、訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの連帯負担とする。

四、この判決は原告ら勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

一、(事故の発生)

請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二、(被告の責任)

(一)  (証拠省略)によれば次の事実が認められる。

1  事故現場の状況一般

事故現場は本件道路が松戸隧道の東方(茨城方面寄り)で、松戸市道第五号線と交差する交差点であり、現場付近の本件道路は歩、車道の区別のあるアスフアルト舗装道路で車道幅員は一三米である。右交差点の東方および西方にそれぞれ横断歩道が設置され(西方の横断歩道は現在では事故時の位置からわずか内側に移動されているが、以下位置確定のために「横断歩道」の語を使用する場合は事故時のものを指すこととする。)自動信号機が四機設置されている。本件道路は本件交差点を底辺にして東方および西方に向かつてゆるやかな上り坂となつている(一〇〇米に対し茨城方面二・五米、東京方面二・八米の勾配)。交差点の西南角の地点で、東京方面寄りにある横断歩道の内線と歩道の縁石とに二辺を接した一辺の長さ約三〇糎平方の本件街渠桝が存在しているが、事故当時はコンクリート製の蓋がとれて(無蓋の点は当事者間に争いがない)、深さ数十糎の排水孔が露出した状態になつていた。

2  事故後の現場の状況

安惟は両足を本件街渠桝に、頭部を交差点の中央に向け、くの字型の格好で右脇を下にしてうつむきかげんに路上に転倒していた。同人の受傷の様子は、頭部左側に陥没骨折があり、頭蓋底骨折もあり、右脇の下に直径約一五糎、幅約一〇糎の打撲擦過傷があり、その中央に拇指大の刺創があつて、長さは約三糎に及んでおり、背部には上部全体に打撲擦過傷が顕著で、右上肢内側にも擦過傷があり、腹部、臀部および両下肢には異常はなかつた。

一方甲車は両車輪を歩道に向け、車体の右側面を下にして前輪と後輪との間に本件街渠桝をはさむような格好で東京方面を向いて転倒しており、安惟の両足と甲車の後輪とが接触していた。甲車の右側ステツプとハンドルの右側握りの各先端部分のゴムが擦り切れていたが、構造上機能上の欠陥はなかつた。安惟の着用していた白色の保安帽は同人の頭から少し離れたところにころがつており、右横の部分の表面の白色および内側の黄色塗料がとれ、更にその内側の繊維状のものも擦り切れていた。街渠桝の歩道と直角をなす東京寄りの一辺の真中あたりに擦過痕があり、甲車の転倒していた下あたりに甲車のガソリンとオイルとがこぼれ血液が安惟の頭部あたりから市川方面に向かう道路の方へと流れていた。

交差点西南角の縁石めがけて本件道路上に、長さが約九米、太さが甲車のタイヤの二―三倍程度の一本の擦過痕が東京方面に向かいいくぶん左に曲がつて存在し、その付近に前記保安帽の塗料の粉末が散乱していた。右擦過痕から道路中央寄り三〇―五〇糎の地点に約二・一米の長さの細い線が痕跡をとどめ、それから更に一〇糎ばかり中央寄りに細くて短かい線が痕跡をとどめていた。なお、交差点西南角の縁石の肩に二〇―三〇糎の擦過痕があつたが、その位置はほぼ前記九米の擦過痕の延長線上にあたる。

3  事故の前後における乙車の動静

訴外坂巻敏夫は乙車を運転して茨城方面から東京方面に向けて西進し、本件交差点手前の横断歩道で信号待ちしていた。同車の右側には乗用車が停車しており(乙車および乗用車が並んで停車していたことは当事者間に争いがない。)、青信号になるや右乗用車は出足よく発進し、乙車はその後からギヤーをセコンドに入れて時速約七―八粁で発進したが、その時左側のバツクミラーで左方を確認した。しかし走行して来る車は見あたらなかつた。そして松戸隧道内の中央あたりに至つたとき後方から追いついて来た車に事故の発生を告げられた。なお、乙車車体には甲車との接触痕はなかつた。

(二)  スリツプ痕の有無

被告は茨城方面寄りの横断歩道付近から約三〇米のスリツプ痕があつた旨主張し、(証拠省略)中にはそれに副う部分がある。しかし証人粕谷は、前出(証拠省略)の添付写真1の×点の手前に長さ三〇米の一条のスリツプ痕があつた旨証言し、証人伊藤は長さ約三〇米のスリツプ痕は右写真1には写つていず、写真1に写つている二本の線の左側の線が九米の擦過痕である旨証言しており、写真1に関しての両証言は全く異なつている。証人小川は単にスリツプ痕があつた旨証言しているにすぎず、三人の証言の唯一の一致点は、スリツプ痕が存在していたということになるわけであるが、事故直後なされた実況見分により作成された前出(証拠省略)自体にスリツプ痕があつた旨の記載は全くない。この点について前掲各証人は、当時、本件事故は安惟の一方的過失による自損行為と判断したため、詳細な実況見分調書を作成しなかつた、と弁解しているのであるが、事故直後写した右(証拠省略)の写真(スリツプ痕があつたとすれば写つていたであろう写真1、2、4)にもそのような痕跡を認めるに足るものは何も写されていない。たしかに写真1には黒い二条の線が写つているけれども、証人伊藤は前に記したとおりこれはスリツプ痕ではないと証言し、又証人粕谷は一条のスリツプ痕があつたと証言しており、二条の同種の線のうちいずれかを甲車のスリツプ痕と断定することはできない。以上のような次第で、甲車のスリツプ痕が約三〇米にわたつて現場に残されていたという各証人の証言はいずれもこれを措信することができず、他にこれを認めるに足る証拠もなく、約三〇米のスリツプ痕の存在を認めることはできない。

(三)  右認定の諸事実を総合すると次の事実が推認される。

安惟は甲車を運転して本件道路を茨城方面から東京方面に向けて西進し、本件交差点に接近して来た。そして前方に停車している乙車と乗用車とを発見したが、信号機は安惟が現場にさしかかる頃には青に変わるであろうと判断してそのままの速度(この時の速度については直接の目撃者はいないが、前記認定の安惟の負傷の程度、甲車の状況等を考え合わせると少なくとも時速六〇粁は超えていたものと推認される。)で進行を継続し、青信号となつて発進した乗用車と乙車の後から本件交差点に進入した。そして後に認定するような原因で急制動の措置をとつたため、甲車は平衝を失い右側に横倒しとなり、安惟の着用していた保安帽は路面に打ちつけられ、甲車は、そのタイヤが摩擦のために九米の痕跡をその右ステツプの先端部分が、二・一米の痕跡を、その右ハンドルの先端部分が更に短かい痕跡を、それぞれ生じつつ、地面を滑走し、勢い余つてその車体の一部を交差点西南角の縁石の肩に打ちつけ、更に縁石沿いに滑走して本件街渠桝に車体の一部を打ちつけてちようどその上にかぶさる位置で停止することとなつた。(証拠省略)の記載中、右認定に反する部分はこれを措信することができない。

(四)  右認定事実に基づいて原告らの主張の当否を判断する。

1  本位的主張について

前記のとおり、甲車は交差点内において既に横倒しになつていたのであつて、本件街渠桝が甲車転倒の直接の原因をなしたものでないことは明白である。よつて原告らの本位的主張はこれを採用することができない。

2  予備的主張について

本件道路の車道幅員が一三米であり、乗用車と乙車の車幅、車間距離等を勘案すると、乙車の左側面と左側の歩道縁石との間には約二米の間隔があつたものと思われる。(証拠省略)によれば、乙車が信号待ちのために停止していた地点から、本件道路の茨城方面寄りの南側歩道部分が交差点において隅切となるあたりまでの距離は約二〇米位であることが認められる。右事情と乙車発進の際運転者の訴外坂巻がバツクミラー内に他の車を発見していないこと、発進時は時速七―八粁の速度であつたがその後乙車は次第に加速され進行したであろうこと等を考え合わせると、本件街渠桝の手前二〇―二五米の地点(検証図面〈ニ〉ないし〈ハ〉の地点)で、甲車は乙車の左側に追いついていたであろうと考えられる。安惟は右地点あたりで乙車を追い抜こうとしながら前方を見やつた時、初めて自車の進路上に無蓋の本件街渠桝があるのを発見し(横断歩道あたりから隅切まで進行する間は、前方に対する注意よりも、右側の乙車と左側の歩道縁石とに注意を奪われていたが、隅切のあたりまで進来したときやつと側方に対する注意を必要としなくなり前方を注視する余裕が生じたものであろう。)そのままの速度を維持すれば本件街渠桝の右側直近か、その上を進行する窮地に追い込まれると判断し、速度を落して乙車の後から追随しようと考えあわてて急制動の措置をとつたが、甲車は、前記のように六〇粁時以上の速度であつたので、急制動のため平衝を失うに至つたのである。原告らは、安惟が本件街渠桝が無蓋であることを発見した地点は茨城方面寄り横断歩道真中あたりであると主張し、これに対し被告は、無蓋であることが確認できるのはその手前一〇・五米に至つたときであると主張しているのであるが、(証拠省略)によれば〈ニ〉地点から十分本件街渠桝が無蓋であることが確認できることが認められ、この事実と前記のような現場の状況から考えて、本件街渠桝から二〇米位手前の地点(検証調書〈ニ〉の地点)あたりで、その無蓋であることを発見したものと認定する。

以上のとおり本件事故の第一原因が安惟の無謀な甲車運転にあることは明白であるが、もし本件街渠桝の蓋がとれていなかつたとすれば安惟は無事本件事故現場を通過しえたのであつて、無蓋であつたことと甲車の横転との間の密接な因果関係を否定することはできない。

(五)  道路端の側溝部分は本来は自動車の道路走行に使用さるべき部分ではないけれども一般に交通法規上(道交法一八条)道路の左側端に寄つて通行すべき軽車両が走行に当つてこの部分を利用することは当然考えられるところであるし、また、自動車および原動機付自転車にとつても左側に寄つて走行すべきものである以上、大型車と併進する状態となる本件のような場合走行の安全を求めて側溝部分を利用する結果となることは通常の出来事であつて、十分予測しうるところであり、その意味ではこの部分も車道の一部と見てよい。本件街渠桝に蓋をつけるようにとの地元民からの要望があつたか否かは別として、いやしくも首都近郊の交通の要路である国道六号線の側溝部分に三〇糎平方の蓋なし部分が生じたままになつていたということは道路管理上瑕疵があつたものといわざるを得ない。そして本件道路はいわゆる一級国道であるから、その指定区間は建設大臣が道路管理者であるところ、本件現場が建設大臣の管理にかかる区間内にあることは被告の弁論の趣旨により認められるところである。よつて、被告は国家賠償法二条一項により国の営造物に関する管理の瑕疵により原告らが蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

三、(過失相殺)

甲車の速度が適切なものであれば、安惟は十分本件事故を回避することが可能であつたのであり、前記のとおり本件事故の第一原因は車の錯綜する交差点において安惟が高速運転を行つたことにある。これを右の管理の瑕疵と比較すると、諸般の事情を勘案の上、損害発生に対する安惟自身の過失は八割程度と考えるのが相当である。

四、(損害)

(一)  安惟の失つた得べかりし利益

(証拠省略)によれば、安惟は大正九年一一月二二日生まれの当時四三才の健康な男子で、昭和三七年から訴外堀切交通株式会社に自動車運転手として勤務し、事故発生前の一年間六四万一四七七円の収入を得ていたことが認められる。右収入を得るための同人の生活費としては、右収入額の約二五パーセントに相当する一六万一四七七円程度と考えられる。従つて同人の一年間の純益は四八万円となる。そして安惟は自動車運転手として少なくとも五五才に達する頃までは稼働可能であつたと考えられるので、五五才に達するまでの一一年間(事故発生日から数えると、三か月余り多くなるが、これは考慮せず丸一一年間とする。)の純収益をホフマン式(複式、年別)計算法により年五分の中間利息を控除して同人の死亡時を基礎にして、その現価を求めると四一二万円(一万円未満切捨)となり、同人は同額の損害を蒙つたことになる。右金額を超える部分についてはこれを認めるに足る証拠はない。そして前示安惟の過失を斟酌すると、そのうち被告に賠償を求めうる額としては八一万円が相当である。

(二)  原告らの相続

前出(証拠省略)によれば、原告能子は安惟の妻、原告倫子、同愛子は安惟のそれぞれ子であり、その他には安惟に相続人のいないことが認められる。従つて安惟の死亡により、原告らは右逸失利益の損害賠償請求権の各三分の一にあたる二七万円宛を相続により承継したことになる。

(三)  葬式費用等

(証拠省略)によれば、原告能子は請求原因第三項(三)123の合計一万一六三〇円の損害を蒙つたことが認められる。4の雑費の証拠としては原告能子の供述だけしかなく、その内容も、おおよそ全部で二〇万円程度かかつたというに過ぎず、又同供述によれば、安惟の葬式は田舎と東京とで二回施行されていることが認められるので、雑費としては一五万円を本件事故と相当因果関係にある損害として認めることとする。そこで前示安惟の過失を斟酌し、右合計額一六万一六三〇円のうち被告に賠償を求めうる額としては三万円を相当と認める。

(四)  原告らの慰藉料

原告らは安惟の突然の死亡により多大の精神的苦痛を蒙つたことが認められるが、前示安惟の過失等諸般の事情を考慮すると、右各苦痛に対する慰藉料としては、原告能子につき三〇万円、同倫子同愛子につき各二〇万円が相当である。

五  (結論)

以上により、原告らの本訴請求は、被告に対する原告能子の請求中以上合計六〇万円、同倫子、同愛子の請求中以上合計各四七万円および右各金員に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四二年三月一八日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 倉田卓次 荒井真治 原田和徳)

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